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大阪地方裁判所 平成3年(行ウ)57号 判決

原告

筒川マスコ

右訴訟代理人弁護士

井上智雄

被告

西野田労働基準監督署長斎藤鉄也

右指定代理人

巖文隆

右同

弥氏紘一

右同

福本由美子

右同

田中義郎

右同

中村忠正

右同

大森康弘

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告が原告に対して昭和六一年一月三一日付けでした、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)による遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す。

第二事案の概要

本件は、原告が、被告に対し、その亡夫筒川正利(以下「亡正利」という。)の死亡に関し、労災保険法に基づき遺族補償給付及び葬祭料の支給を請求したところ、被告が、右死亡は亡正利の従事していた業務に起因するものではないことを理由にこれを支給しない旨の決定をしたため、右死亡は亡正利の業務に起因するものであるから右決定は違法であると主張して、その取消を求めた事件である。

一  争いのない事実等

1  亡正利の死亡

原告の夫である亡正利(大正一五年一一月三〇日生)は、株式会社淀川製鋼所(以下「淀川製鋼」という。)に雇用され、大阪市西淀川区(町名・番地略)所在の同社大阪工場の百島モータープール(以下「本件モータープール」という。)の保安係として、本件モータープールの警備管理業務(以下「本件警備管理業務」という。)に従事していたものである。

亡正利は、昭和五九年九月七日午前八時三〇分から同月一〇日午前八時三〇分までの間、三昼夜連続勤務に従事した後、同日午前八時四〇分ないし五〇分ころ、淀川製鋼大阪工場医務室に赴いて看護婦に身体の不調を訴えて注射等の処置を受け、いったんは同医務室を出たが、同日午後三時四五分ころ、再び身体の不調を訴えて同医務室に赴き、同医務室からの連絡でやってきた救急車で、同日午後四時二〇分ころ、名取病院に搬送されたが、同日午後八時五二分、急性心筋梗塞(以下「本件心筋梗塞」という。)によるショック死によって死亡した(〈証拠略〉)。

2  本件処分

原告は、被告に対し、亡正利の死亡は業務上の災害であるとして、労災保険法に基づき遺族補償給付及び葬祭料の支給を請求したが、被告は、原告に対し、昭和六一年一月三一日、亡正利の死亡は業務に起因するものではないとしてこれを支給しない旨の決定(以下「本件処分」という。)をした。

そこで、原告は、大阪労働者災害補償保険審査官に対し、本件処分の審査請求をしたが、同審査官は、原告に対し、昭和六三年一月二七日、右審査請求を棄却する旨の決定をした。

このため、原告は、労働保険審査会に対し、本件処分の再審査請求をしたが、同審査会は、平成三年四月一二日、右再審査請求を棄却する旨の裁決をし、右裁決は、同月二〇日、原告に送達された(右送達日につき、弁論の全趣旨)。

二  主たる争点

亡正利の死亡が本件警備管理業務に起因するかどうか。

(原告の主張)

1 過労ないしストレスと心筋梗塞との間の因果関係

心筋梗塞とは、心臓の筋肉を養っている冠状動脈の閉鎖ないし高度の狭窄によって、右動脈の支配領域下の心筋の血流が途絶、阻血し、心筋の壊死がもたらされ、著しい心臓の機能不全を来す場合をいう。

過労とは、疲労の蓄積により心身の機能不全が著しく低下した場合をいい、生理学的には、過労が大脳皮質に作用し視床下部を経由して自律神経系ないし脳下垂体、副腎系に働きかけて、心身機能の平衡状態又は内部環境の平衡状態のかく乱をもたらした状態をいう。

ストレスとは、外的条件の著しい変化によって、心身機能の平衡の乱れを来した状態をいい、過労と同様に視床下部から自律神経系や脳下垂体・副腎系に作用する。

かかる過労ないしストレスによる刺激は、末梢血管ことに冠状動脈を含む細動脈の収縮・けい縮、心臓の血液拍出量の増大、昇圧ホルモン(アドレナリン等)の過剰分泌をもたらし、その結果、心臓の仕事量の増大、血圧の上昇、心臓への負担を来すことになる。

そして、かかる複雑な過程を経ながら、結果的には心筋梗塞の最大のリスクファクターである高血圧を招来し、また一方では心臓の酸素需要量を増加させ、より多量の動脈血を必要とする状態、すなわち冠状動脈血流量の増加を必要とする状況を来す。

したがって、過労・ストレスは、いずれも究極的には大脳皮質の視床下部を経て、自律神経系、脳下垂体、副腎系に作用するのであり、心筋梗塞への病理過程が促進されると共に、心筋梗塞発症に大きく寄与しているのである。

2 亡正利の労働状況

亡正利の従事していた業務は、淀川製鋼大阪工場付属の本件モータープールの警備管理業務であるが、かかる業務は、予測し難い事態に対する注意、警戒を必要とするため、絶えず神経の緊張を保たなければならず、強い精神的神経性の疲労を招来するものである。

しかも、亡正利の就業時間は、午前八時三〇分から翌日午前八時三〇分までの二四時間連続勤務であって、かかる長時間に及ぶ保安業務は、それ自体、肉体的、精神的に多大な負担と苦痛を伴うものであるところ、亡正利は、二日に一日は右業務に従事していたのみならず、一か月に最低二回は、三昼夜連続で右業務に従事していたものであって、かかる異常な勤務内容、勤務密度からもたらされる強い精神的疲労は、通常人の勤務と比較して、想像を絶するものというべきである。

そして、宿直明けの二四時間は、通常の八時間労働者の休日とは異なり、二四時間(又は七二時間)もの長時間の拘束によって肉体的・精神的苦痛が限界に達した亡正利が、肉体及び精神を正常な状態に蘇生させるための回復時間に過ぎないものと評価すべきであり、亡正利には、右宿直明けの二四時間を除くと、一か月に一、二日程度の有給休暇しか与えられていないことを考えると、亡正利には、通常の労働者に毎週与えられている休日も全くといっていいほど与えられていなかったというべきである。

亡正利は、本件警備管理業務の最中、深夜に数時間の睡眠時間を一応与えられてはいた。しかし、右睡眠時間中であっても、車の出入口・駐車場と一体となった保安室において、不慮の事故や災害の発生の防止に努めなければならず、しかも、本件モータープールにはまともな塀もなく、外から容易に出入りできる状況であって、絶えず神経を張り詰めていなければならなかった。その上、毎夜午前〇時から同四時までの間であっても一、二台のトラックが本件モータープールに出入りするので、その際には起床して扉の開閉を行わなければならなかったのであり、右保安室がトタン張り様の建物で外部の騒音や夜風が入る粗末なバラック建築であったことを考え併せると、右睡眠は、仮眠程度のものに過ぎず、しかも、絶えず緊張を伴ったものであるから、まともな休息とはいえないものであった。

3 亡正利の死亡前の状況

亡正利は、同人の相番である稲上節雄(以下「稲上」という。)が勤務中の事故により就労できなくなったため、昭和五九年二月一五日から同年四月一五日までの間、連続して毎日保安業務に従事し、これが原因で過労が蓄積し、右過労が原因となって発症した気管支喘息のため入院し、また、死亡前日の同年九月八日には風邪をひいていたのであって、体力的には極度に衰弱していた。

しかるに、亡正利は、医師による適切な治療を受け又は療養をする機会も与えられないまま、前記の様な過酷な勤務条件下において、三昼夜連続勤務に従事していた。

4 亡正利の労働と本件心筋梗塞との因果関係

亡正利は、以上のような過酷な業務に従事することによって、精神的・肉体的過重を加えられ、それによる負担が極限にまで達し、それによって、急激な体力の低下がもたらされ、虚血性心疾患の基礎となる重大な病理異変を来し、よって、慢性的かつ急激な血液の凝固能の高まりによって、本件心筋梗塞を発症し、その結果死亡に至ったものである。

したがって、亡正利の業務と同人の死亡との間には相当因果関係が認められる。

(被告の主張)

1 労災補償における業務起因性

労働者の死亡につき、労災保険法による遺族補償給付等が支給されるためには、当該労働者の死亡が業務上のものであること、すなわち、右死亡が業務遂行中に(業務遂行性)、かつ、業務に起因して(業務起因性)発生したものであることを要する。業務遂行性とは、労働者が労働契約に基づいて使用者の支配ないし管理下にあることをいい、業務起因性とは、業務と死亡及びその原因たる負傷又は疾病との間に、経験則に照らして認められるところの客観的な因果関係(相当因果関係)が存在することをいう。

そして、右「相当因果関係」の有無については、法の定める補償制度の請求の趣旨に則した解釈、判断がなされるべきであり、そのためには労災補償の法的性質、労働基準法(以下「労基法」という。)及び労災保険法の立法趣旨、制度的特質などを十分に考慮して、現行法制度のあり方と整合性のある判断方法によることが必要である。

すなわち、労基法は、使用者の過失の有無を問わず、業務上の傷病による労働者の損失について、その全額を使用者が負担することを義務づけ(労基法七五条)、しかも刑罰をもってその履行を確保しようとするものであるが、当該傷病が単に労務提供の機会に偶発したにすぎない場合まで使用者に対して無過失の填補責任を課することは、使用者をして余りにも過大な負担を強いることとなり、法の定める補償制度の趣旨を逸脱するものというほかない。

また、労災保険法においても、保険給付の大部分が使用者の負担する保険料によって賄われており、偶発的な傷病についてまで労災保険により填補すべきものとするならば、これまた使用者に対して過大な負担を強いるばかりでなく、ひいては、労災保険制度の存在基盤そのものを危うくすることにもなりかねない。

以上から明らかなように、労災補償については、業務そのものに当該傷病等を発症させる有害因子、危険が内在する場合において、右危険の現実化と認められる傷病等によって労働者が被った損失につき、使用者がこれを填補すべきこととしたものと解するのが合理的であり、労災補償の法的性質及び制度趣旨にも合致するものである。

したがって、労災補償上の因果関係の判断に当たっては、まず、「当該業務に当該傷病を発生させる危険性があったと認められるか否か」を「経験則に照らして」判断する必要がある。

2 虚血性心疾患の業務起因性の判断基準

労働者の死亡が、業務上の死亡に該当するというためには、死亡の原因となった傷病が業務上の負傷又は疾病であることを要するところ、心筋梗塞等の脳血管疾患、心疾患の発症は、基礎となる動脈硬化等による血管病変又は動脈瘤、心筋変性等の基礎的病態が、加齢や一般生活等における諸種の要因によって増悪し発症に至るものがほとんどであり、業務遂行中にこれらの疾患が発症したとしても、直ちに業務遂行性が認められるものではない。すなわち、これらの疾患は、必ずしも単一の原因によって発生するのではなく、病的な素因ないし基礎疾病、体質や遺伝、年齢、食生活、気候条件、喫煙、飲酒その他業務に直接関係のない生活環境によって、日常生活上、いつ、どこででも起こりうる疾病であって、最新の医学的知見によってさえその原因となる特定の業務は認められていないのである。もっとも、本来的には私病であるこれらの基礎的病変が、業務上の諸種の要因によって急激に増悪し、その結果、脳血管疾患及び虚血性心疾患等を発症することもあり得ることから、このような、発症経過が医学的に明らかに認められるものについては、業務上の疾患として取り扱われる。そこで、昭和六二年一〇月二六日付け基発第六二〇号労働省労働基準局長通達「脳血管疾患及び虚血性心疾患等の認定基準について」においては、〈1〉発生状態を時間的及び場所的に明確にし得る異常な出来事(業務に関する出来事)に遭遇したこと、〈2〉日常業務に比較して、特に過重な業務に就労したことの各要件に該当し、業務による明らかな「過重負荷」を発症前に受けたことが認められる場合には、業務に起因することが明らかなものとして、労災補償における業務起因性が肯定されるものとされている。

そこで、以下、右認定基準に照らして、本件心筋梗塞につき業務起因性が認められるかどうかを検討する。

3 亡正利が、発生状態を時間的及び場所的に明確にし得る異常な出来事(業務に関する出来事)に遭遇したかどうか。

亡正利の警備管理業務は、本件モータープール構内にある保安事務所において、契約に基づき出入りする車両の監視をすることが主たる業務であって、その勤務形態は、午前八時三〇分から翌日の同八時三〇分までの二四時間勤務で、相番一名との交替勤務であるが、正午から午後一時までの定時の休憩時間はもとより、勤務の合間にも本人の判断で適宜休憩をとることが認められており、食事時、入浴時、体調不調その他緊急時には、保安室のドアを施錠して係員不在の掛け札をしておけば職場を離れることもでき、その拘束性は比較的緩やかなものである。

また、本件警備管理業務の具体的内容は、一日三回の駐車場内のパトロール、通用門の開閉、保安室、本件モータープール等の清掃、勤務日誌等の作成等、いずれもその性質上急を要する内容のものではなく、短時間でかつ本人の裁量によって調整しうる作業である。

本件警備管理業務の従事者は、午後九時ころパトロールなどを済ませて通用門を閉鎖し、翌朝午前五時まで仮眠を取るのであるが、閉門後に駐車場に出入りする車両については、事前に通用門の鍵を渡してあるので出入りの都度通用門の開閉を行う必要はない。

以上のような業務の内容であるから、亡正利において、発生状態を時間的及び場所的に明確にし得る異常な出来事(業務に関する出来事)に遭遇したとは認め難い。

4 亡正利が、日常業務に比較して特に過重な業務に就労したかどうか。

「特に過重な業務」とは、当該労働者の通常の所定業務と比較して、特に過重な精神的、身体的負荷と客観的に認められる業務を意味し、医学的に基礎的病変の急激で著しい増悪の要因として、医学上、社会通念上認められるものでなければならない。

亡正利の業務は、右のとおりの警備管理業務であり、通常の労働者と比較しても労働密度は低いもので、作業の形態、難易度、責任の軽重等いずれの観点からしても精神的、肉体的負担の少ないものである。

また、右業務には、年間二〇日間の有給休暇のほか、年間四日間の特別休暇が保障されており、亡正利らは、互いに相番と連絡の上、平均一か月に二日間の有給休暇を取得していた。

相番の一名が有給休暇を取得した際に一か月に二回程度の割合で三日間連続して勤務に就いていたが、その労働密度は右のとおりのものであって、原告が主張するような精神的・肉体的に極めて苛酷かつ過重性を有する労働を強いられていたものとは認め難い。

したがって、亡正利が、日常業務に比較して特に過重な業務に就労したとはいえず、本件警備管理業務と本件心筋梗塞との間に相当因果関係は認められない。

三  証拠

記録中の証拠に関する目録記載のとおりであるから、これを引用する(略)。

第三争点に対する判断

一  亡正利の経歴と本件警備管理業務の内容

前記争いのない事実等及び証拠(〈証拠略〉)によれば、次の事実が認められる。

1  亡正利の経歴

亡正利は、大正一五年一一月三〇日に生まれ、昭和二七年一〇月二一日に淀川製鋼に入社し、同年一〇月より同三七年二月まで同社製銀課圧延係として、同年三月から同五八年二月まで同社鍍金課整備係としてそれぞれ勤めた後、同五八年二月、自ら希望して本件警備管理業務を担当する保安係(モータープール)に配転され、同年一一月二九日定年を迎え、翌三〇日からは嘱託として同社に再雇用され、同五九年九月一〇日に死亡するまで引き続き本件警備管理業務に従事していたものである。

2  亡正利の一日の業務内容

本件モータープールは、面積が一万三七〇三平方メートル、契約社数が六〇社、契約台数が三八一台、常時来場台数は平日が約八五台、日祭日は約二〇台であるところ、亡正利が右モータープールにおいて従事した本件警備管理業務の業務内容は、おおむね次のとおりである。

(一) 午前八時三〇分

相番と交替し勤務につく。

(二) 同九時から一〇時

特に作業はなく、新聞、テレビ等を見て過ごす。

(三) 午前一〇時から一一時

約三〇分間、駐車場内のパトロールをする。

(四) 午前一一時から一二時

約二〇分間、駐車場内の整理、清掃をする。

(五) 午後〇時から一時

休憩(休憩場所、そのとり方は本人の自由とされている。)

(六) 午後一時から四時

自主的行動(例えば、植木の手入れ、野菜の栽培、草刈り等)

(七) 午後四時から六時

約三〇分間、駐車場内のパトロールをする。休日の場合は、正門の班長に異常の有無を電話連絡する。

(八) 午後六時から八時

入浴、夕食(職場を離れるときは、保安室のドアを施錠し、係員不在の掛け札をする。)

(九) 午後八時

特に作業はなく、新聞、テレビ等を見て過ごす。

(一〇) 午後九時から一〇時

勤務日誌の作成、公衆電話料金の集計、駐車場内のパトロール(約二〇分)、正門へ異常の有無を連絡する。

(一一) 午後一〇時

本件モータープールの通用門を閉め、約二〇分間、巡回を行う。

実際に就寝するのは午後一一時三〇分ないし一二時ころである。

(一二) 午前四時三〇分ころ

起床して保安室内外の清掃をする。

(一三) 午前五時

門を開ける。

(一四) 午前六時

約三〇分間、ゴミを焼却する。

(一五) 午前七時

焼却炉付近を清掃し、正門の保安係に連絡する。

(一六) 午前八時三〇分

相番への申し送り事項を黒板に記入し、勤務日誌を管理課長に提出して、退社する。

(一七) 以上の他、業者から時々かかってくる電話の応対をする。

なお、車両の出入りの記録は、各運転手が保安室前に備えてある入出簿(管理日誌)に記入するため、本件警備管理業務の従事者が記録する必要はない。

3  本件警備管理業務の勤務形態

亡正利は、本件警備管理業務を相番(昭和五八年二月から同五九年二月まで稲上、同年三月から江口三勝(以下「江口」という。)と交替で行っていた。したがって、二日に一日の割合で本件警備管理業務に従事していたものである。

ただし、一年間に有給休暇が二四日(有給休暇二〇日・特別有給休暇四日)あり、これを一か月に二日取得できることになっている。したがって、一か月に二回、三日間連続で休暇が取れる反面、一か月に二回、相番が右有給休暇を取得した際に三昼夜連続で本件警備管理業務に従事することになる。

4  本件警備管理業務における仮眠の状況

右1にみたとおり、本件警備管理業務においては、午後一〇時から翌午前五時まで、本件モータープールに付属する保安室内において仮眠をとることができる。右保安室は、四・五畳の和室で、保安室内の主な設備・備品としては、暖房用ヒーター、クーラー、換気扇、テレビ、調理台、冷蔵庫、湯沸器、電話、事務机等があり、個人別に貸与された布団、毛布等が備えつけられており、睡眠が可能な程度の一応の住環境が整えられていた。

しかし、本件モータープールの閉門時間は午後一〇時ということになっているが、閉門後巡回に約二〇分かかり、これを終えてから就寝するので、実際に睡眠に入るのは午後一一時ないし午前〇時ころになり、睡眠時間は約五時間ということになる。また、本件モータープールに隣接する合同製鋼の工場がかなりの騒音を発するため、睡眠を妨げられることがあるが、それも約一週間で慣れるのが実情であり、現に、亡正利も本件警備管理業務に従事した当初、右騒音のため睡眠が妨げられる旨訴えていたが、一、二週間経過後には右訴えもしなくなった。さらに、本件モータープールの閉門後における車両の入庫は、門の合鍵を事前に運転手に渡して自分で開門させるようにしているが、そうであっても、大型トラックが入庫する場合は振動や騒音によって目が覚めることがあったり、一か月に約二、三回は、合鍵を持たない車が入庫することがあり、その場合はベルを鳴らされるので開門しなければならなかった。

5  本件モータープールにおける事件・事故等突発的出来事の有無

亡正利が本件警備管理業務に就いている間、本件モータープールにおいても、淀川製鋼大阪工場全体においても、車両の損傷、窃盗、火災などの事故、事件は特になかった。

昭和五九年六月二三、四日ころ、亡正利が、出入りの運転手や契約者に対し、契約数以上の車を駐車していると抗議して口論になったことがあったが、単なる連絡の手違いが原因であって、翌日には解決した。

二  亡正利の勤務状況等

証拠(〈証拠略〉)によれば、次の事実が認められる。

1  亡正利の勤務日等

亡正利の昭和五八年二月以降の本件モータープール保安係としての勤務日等は、別表一(略)のとおりである(ただし、昭和五九年三月については、亡正利は、一日一二時間勤務(午後八時三〇分から翌午前八時三〇分まで)をしたが、これを従前同様一日二四時間勤務として換算したもの)。右の勤務日のうち昭和五九年四月以降の三昼夜連続勤務日をみてみると、同月には一二日から一四日までと二八日から三〇日までの二回、同年五月には一二日から一四日までと二三日から二五日までの二回、同年六月には九日から一一日までと二三日から二五日までの二回、同年七月には七日から九日までと二七日から二九日までの二回、同年八月には一〇日から一二日までと二四日から二六日までの二回、同年九月には七日から九日までである。ちなみに、亡正利の相番である稲上及び江口の三昼夜連続勤務日を含む勤務日等の状況も亡正利と同様であり、特に亡正利の勤務日等が多いということはなかった。

2  亡正利の死亡前一週間の勤務内容等

昭和五九年九月三日(月曜日) 勤務日

午前一〇時、午後四時に各三〇分間及び午後一〇時に二〇分間場内巡視をし、出入口場内、幹線通路整理、洗車場、焼却炉、周辺の清掃をしたほか、特に変わった状況はない。なお、亡正利は、同日、後記のとおり名取病院へ通院している。

九月四日(火曜日) 非勤務日

九月五日(水曜日) 勤務日

三日と同様に場内巡視をし、出入口場内、幹線通路整理、洗車場、焼却炉、周辺の清掃をしたほか、特に変わった状況はない。

九月六日(木曜日) 非勤務日

九月七日(金曜日) 勤務日

五日と同様に場内巡視をし、出入口場内、幹線通路整理、洗車場、焼却炉、周辺の清掃したほか、特に変わった状況はない。

九月八日(土曜日) 勤務日

七日と同様に場内巡視をし、出入口場内、幹線通路整理、洗車場、焼却炉各周辺の清掃をしたほか、特に変わった状況はない。

九月九日(日曜日) 八日と同様に場内巡視をし、出入口場内整理は雨天のため中止し、洗車場、周辺の清掃をしたほか、特に変わった状況はない。

なお、亡正利は、右の勤務日前の昭和五九年八月三一日(金曜日)から同年九月二日(日曜日)までは休暇を取っている。

三  本件モータープールにおける出入車両台数

本件モータープールにおける契約台数は前記一2のとおりであるが、右台数のうち実際に本件モータープールに出入した台数を昭和五九年八月二五日から同年九月九日までについてみてみると、別表二(略)のとおりであり、うち本件モータープールの閉門時刻である午後一〇時から翌午前四時までの出入台数は、一台(三日)、二台(三日)、三台(五日)、四台(三日)、五台(一日)、六台(一日)である。

四  亡正利の健康状態と死亡に至る状況

前記争いのない事実等及び証拠(〈証拠略・人証略〉)によれば、次の事実が認められる。

1  亡正利の健康状態・嗜好

亡正利は、身長約一七〇センチメートル、体重約七〇キログラムの体躯で、特に既往症はなく、淀川製鋼が実施している社内健康診断においては、昭和五〇年以降、尿糖値が+(昭和五〇年一二月、同五二年七月・いずれも再検査指示あり)又は(同(ママ)五三年九月・再検査指示あり)で測定され、また、同五一年一二月には定期的血圧測定を指示されたほかは、特に重篤な疾患は発見されていない。なお、血圧は、右健康診断の結果によると最大血圧が一四〇台、最小血圧が九〇台であることがあり、境界域高血圧であるとの指摘がなされている(〈証拠略〉)。

また、亡正利は、煙草を一日約二〇本(〈証拠略〉)、酒を毎日約三ないし五合(〈証拠略〉)嗜んでいた。

2  亡正利の死亡前の入・通院状況

亡正利は、昭和五八年二月から本件警備管理業務に従事していたものであるが、同五九年四月から九月一〇日の死亡時までの間に、次のとおり、何度か入・通院を行っている。

昭和五九年四月一五日 友愛会松本病院に入院

亡正利は、同日午前〇時二〇分ころ、その二、三時間前から急に動悸を来し、胸内圧迫感、軽度の息苦しさを覚え、しばらく様子をみていたが治まらぬため、救急車で来院し、辻本邦夫医師(以下「辻本医師」という。)の診察を受けた。辻本医師が点滴をすると、気分が落ちついて症状が緩和したため、辻本医師は二日分の薬を処方して帰宅させた。不整脈以外に特に異常はなかったが、心電図によると心房細動の所見があった。亡正利は、辻本医師に対し、過去にも一年に二、三回同様の発作があった旨訴えた。

同月一九日 名取病院に通院

慢性胃炎との診断を受けた。心悸亢進が認められた。

同月二一日 名取病院に通院

食道・胃の透視及び血液検査を受けた。

同月二三日 名取病院に通院

心悸亢進が認められた。血圧は最大が一四〇であり、最小が七〇であった。

同月二九日 名取病院に通院

喘鳴及び左右の肺の笛声音が聴取され、気管支喘息との診察を受けた。

同月三〇日から五月七日まで名取病院に入院

気管支喘息により四月三〇日に入院し、容態が好転したので五月七日に退院した。カルテの四月三〇日欄(〈証拠略〉)には、「アルコール中毒」との記載がある。

同年五月一九日、同月二一日、同月二八日、同年六月五日

いずれも名取病院に通院

同月一一日 名取病院に通院

心悸亢進が認められた。

同月一九日 名取病院に通院

同月二〇日 名取病院に通院

亡正利は、上部腹痛を訴え、不整脈が認められた。発作性頻拍症との診断を受けた。翌日心電図を取ることになった。

同月二一日 名取病院に入院

亡正利は、動悸を訴えたので、入院の手続をとり、尿検査、血液検査、心電図などの検査をしたところ、心電図上、心房細動が認められたが、その後症状が消滅したため、同日、自己退院した。

同月二三日 名取病院に通院

同月二五日 名取病院に通院

亡正利は、下痢を訴え、大腸炎との診断を受けた。

同月二七日 名取病院に通院

下痢の症状が継続

同年七月九日 名取病院に通院

腸の診察を受けた。直腸内の出血あり。

同月一六日 名取病院に通院

血圧は最大が一六〇、最小が一一〇であり、脈拍は八〇で規則的だった。亡正利は、苦悶状で心気症的な顔貌を浮かべていた。

同月一八日 名取病院に通院

血圧は最大が一六〇、最小が一一〇であり、脈拍は七八で規則的だった。

同月一九日 名取病院に通院

亡正利は、四日前から下痢が続いている旨訴えた。

同月二〇日 名取病院に通院

亡正利は全身の倦怠感を訴えた。

同月二一日、同月二三日

いずれも名取病院に通院。経過良好との診断を受けた。

同月二五日 名取病院に通院

経過良好との診断を受けた。血圧は最大が一四二、最小が八〇であった。

同月二七日 名取病院に通院

経過良好との診断を受けた。血圧は最大が一二〇、最小が八二であった。

同月二八日 名取病院に通院

経過良好との診断を受けた。血圧は最大が一四六、最小が八六であった。

同月三一日 名取病院に通院

調子は良いとの診断を受けた。血圧は最大が一四〇、最小が一〇〇であった。

同年八月一日、同月二日

いずれも名取病院に通院

同月四日 名取病院に通院

脈拍数は七八で規則正しく、肺には異常はなく、左上腹部に圧痛があるとの診断を受けた。

同月八日 名取病院に通院

調子はよいとの診断を受けた。

同月三一日 名取病院に通院

同年九月一日 名取病院に通院

なお、カルテの同日欄(〈証拠略〉)には、午後四時ころ酒を四合飲んだ旨の記載がある。

同月三日 名取病院に通院

同月八日 名取病院に通院

亡正利は、医師に調子は良好と述べた。

同月一〇日 名取病院に入院

午後八時五二分に死亡した。

3  亡正利の死亡に至る状況

亡正利は、昭和五九年九月七日から三昼夜連続勤務に入ったが、同月八日午前六時四〇ないし四五分ころ、本件モータープールの利用者である保木と会話を交わした際、作業着を着て布団から出ないままであったが、同日、名取病院で診察を受けた際には経過は良好である旨述べ、同日午後五時ないし六時ころ、保木が保安室に立ち寄った時には、同日朝と同じく布団から出ないで応対したものの、朝より元気な様子で、風邪を引いたらしいと述べた。

亡正利は、勤務を終えた同月一〇日午前八時四、五〇分ころ、淀川製鋼大阪工場診療所を訪れ、右診療所の看護婦勝本鶴代(以下「勝本看護婦」という。)に対し、感冒気味で疲労感がある旨訴えた。そこで、勝本看護婦は、亡正利の体温、脈拍、血圧を測定したところいずれも異常が認められなかったが、亡正利の求めに応じカルテの指示に従って栄養剤のブドウ糖を注射した。

亡正利は、退社した後の同日午後三時四五分ころ、自動二輪車に乗って再び診療所を訪れ、勝本看護婦に対し、疲労感を訴えた。勝本看護婦は、亡正利の血圧を測定したところ測定不能値であり、脈拍が一三〇、顔の色つやはいつもよりやや悪く、両手が冷たかったので、亡正利のかかりつけの病院である名取病院に電話して、救急車を呼んだ。亡正利は、右診療所に到着した救急車に歩いて乗り込み、同日午後四時二〇分ころ、名取病院に到着した。亡正利は、同病院の診療室に歩いて入室し、同病院の野々村明彦医師(以下「野々村医師」という。)に対し、全身倦怠感、呼吸困難を訴えた。その際の亡正利の顔面は蒼白であり、血圧は最大血圧が七四、最小血圧が五〇と低く、心電図検査の結果から急性心筋梗塞との診断を受けた。同四時五〇分ころ、亡正利は、同病院の病室に車椅子で移送されて入院し、酸素吸入、昇圧剤、ステロイドホルモン抗凝固剤(ウロキナーゼ)、強心剤の投与を受け、絶対安静を命ぜられた。同六時ころには、顔面は未だ蒼白で、冷感、冷や汗、強度の全身脱力感の訴えはあったものの、血圧が九〇近くまで回復、呼吸困難も改善し、ハートモニターも規則正しいリズムを記録するようになり、容態が落ち着いたため、野々村医師は帰宅した。ところが、同七時三〇分ころ、血圧が八〇に下降し、多量の冷や汗が生じ、軽度の呼吸困難が再発した。そして、同七時四五分ころ、高度の胸内苦悶及び呼吸困難が発生したため、当直医は緊急状態と判断して、気管内挿管を施行し、人工呼吸、心マッサージ、強心剤の注入等の処置を講じたが、効果のないまま測定不能の血圧に陥り、亡正利は、同八時五二分、心筋梗塞によるショック死により死亡した。

五  本件警備管理業務と亡正利の死亡との間の因果関係に関する医師の意見

1  証拠(〈証拠略〉)によれば、亡正利の死亡時に診療に当たった医師野々村明彦は、亡正利の死因は、心筋梗塞によるショック死であるとし、心筋梗塞とは、心臓の心筋細胞を養っている冠状動脈が閉塞してその支配領域の心筋細胞が壊死に陥る疾患であり、この合併症としてショックを生じたり、心不全や不整脈を生じる。心筋梗塞の発生原因として、ひとつは、冠状動脈に動脈硬化症が生じて内腔が狭窄し血流が徐々に障害され遂に完全閉塞に至り心筋細胞の壊死に至るものであり、もうひとつは、冠状動脈のスパスム(攣縮)によるもので、強いスパスムが冠状動脈に生じることによって冠血流が途絶し、あるいは七〇ないし八〇パーセント閉塞することによって血流が停滞し冠状動脈内血栓が形成され、心筋細胞が壊死に陥るという場合である。

亡正利の場合には、〈1〉喫煙以外にさしたる冠危険因子がないこと、〈2〉平常の心電図でそれ程の冠状動脈硬化症の所見を認めないこと、〈3〉以前から明白に判明しているだけで二回の一過性の心房細動の発作を生じていることから、亡正利の冠状動脈に比較的軽いスパスムが生じたことによって、冠血流障害が生じ、心筋虚血を来し、一過性心房細動に至り、心筋梗塞を発症させたものと考える。しかし、心筋梗塞は、冠危険因子を有する者もそうでない者にとっても、いつでも、どこでも発症する疾患であり、また、仮に肉体的・精神的ストレスが冠危険因子の形成あるいはスパスムの生じる原因であるとしても、本件警備管理業務は恒常的業務であって、これによって心筋梗塞を発症させる肉体的・精神的ストレスが蓄積していたとは考えられないとして右の因果関係を否定する。

2  証拠(〈証拠略〉)によれば、医師小林敬司は、亡正利の死因は、心筋梗塞によるショック死であるとすることは正当であるとし、亡正利には、陳旧性心筋梗塞、冠状動脈病変、発作性心房細動などの既往歴があり、これに加えて冠状動脈疾患の危険因子である喫煙歴があること、亡正利の業務は比較的変則で、時間的拘束が通常の職種に比し、長い勤務であるが、肉体的負担の面での過重は少ないものと考えられ、また、拘束時間は長いが拘束時間内でも自主労働に任されている点も多いこと、かつ、同職種について約一年半の経験があることから、本件警備管理業務にも慣れていたと考えられ、精神的緊張状態が連続していたとは考えがたいこと、本件心筋梗塞発症前日から当日にかけても突発的、災害的な事故に遭遇している様子もみられないこと、本件心筋梗塞発症前約二週間及び約三か月の勤務も通常のサイクルで行われており、業務内容も特別過激な肉体的・精神的荷重を課すものでなかったことから、本件心筋梗塞は、亡正利の陳旧性心筋梗塞、冠状動脈病変、発作性心房細動などの既往歴の存在下に喫煙歴などが加わり発症したものであるとし、右の因果関係を否定する。

3  証拠(〈証拠略〉)によれば、医師白井嘉門は、亡正利の死因は、心筋梗塞によるショック死であるとすることは正当であるとし、心筋梗塞は、多くは冠状動脈硬化症により発症するが、冠状動脈の攣縮によることもあり得るとし、亡正利の場合、同人を診察した野々村医師の見解では、冠状動脈硬化症はないとのことであるから、後者を考えねばならない。冠状動脈の攣縮の発症原因としては、体質的要因によるものが多いが、心筋に血液需要の多いときにも発症すること、亡正利の従事した業務は、特に心筋に血流(ママ)需要を高めるものは認められないこと、業務の都合により三昼夜連続勤務をすることがあり、そのために睡眠が妨げられることはあるが、睡眠不足のみが心筋梗塞の原因とは考えられないこと三昼夜連続勤務は今回に限ったことではなく、本件警備管理業務に従事してから月二ないし三回あり、ほとんど恒常的なものであって、その異質性、有意な誘因性は考えがたいことから、本件心筋梗塞は、亡正利の体質素因に基づく冠状動脈の攣縮によって発症したものであるとして、右の因果関係を否定する。

4  証拠(〈証拠略〉)によると、大阪警察病院循環器科医師児玉和久は、亡正利の死因は、急性心筋梗塞であるとし、亡正利は、本件警備管理業務に約一年半従事し、その間二四時間交代制の勤務に慣れていたと考えられ、勤務内容も過重負荷がかかる様なものでなく、死亡直前の勤務がそれ以前の勤務に比較し、特に過激なものであったとは評価できないことから、右の因果関係を否定する。そして、ストレスと急性心筋梗塞の関係について、それが肯定される場合は非常に少ないとし、亡正利の場合にもストレスによる本件心筋梗塞の発症は否定する。

5  証拠(〈証拠略〉)によると、医師田尻は、亡正利の死因は、心筋梗塞であることにほぼ間違いないとし、心筋梗塞は、心臓の筋肉を養っている冠状動脈の閉塞又は高度の狭窄によって、当該動脈の支配領域下の心筋の血流の途絶・阻血から、心筋の壊死がもたらされて、著しい心臓の機能不全(心不全)を来す場合をいう。多くの心筋梗塞では、その基礎に冠状動脈の硬化が認められ、その原因のほとんどを占める。また、同時に、血液の凝固能の亢進をも伴っていて、血栓形成を起こりやすくしていることが多い。また、その発症には、これらを基礎として起こる冠状動脈の攣縮(スパスム)の存在も重視されている。

心筋梗塞の冠危険因子としては、性、年齢のほかに〈1〉血清脂質異常、特に高コレステロール血症、〈2〉高血圧、〈3〉喫煙、〈4〉糖尿病、〈5〉肥満等があり、飲酒は、適量(日本酒ならば約二合、ビールならば大瓶二本程度)ならば心筋梗塞を抑制する方向に働くが、過度の飲酒は高血圧を招き心筋梗塞の冠危険因子となる。また、過労、ストレスも心筋梗塞の発症原因となる。

亡正利の従事した本件警備管理業務は、軽作業であるが精神神経性負担(ストレス)が重く、しかもこれによって生じた疲労を回復させるための条件は極めて劣悪で、三昼夜に及ぶ連勤は非人間的とさえいうことができ、心筋梗塞を発症せしめるには十分な過重性をもっていた。日常的な健康状態は、それは疲労による心身の不調を思わしめるもので、再三の入院や最終の心筋梗塞発症がこの連勤との強い関わりで起こっていることからも首肯できるとして、右の因果関係を肯定する。

六  亡正利の死亡の業務起因性の有無について

1  労災保険法に基づく遺族補償給付、葬祭料が支給されるためには、労働者が業務上死亡すること、すなわち、その死亡が業務に起因すること(業務起因性)が必要であり(労災保険法一二条の八、労働基準法七九条、八〇条)、この業務起因性が認められるためには、死亡と業務との間に相当因果関係が存在することが認められなければならない(最高裁昭和五一年(行ツ)第一一号同年一一月一二日第二小法廷判決・裁判集民事一一九号一八九号(ママ)参照)。

2  右の事実によると、亡正利の死因は、心筋梗塞によるショック死であると認めることができるところ、原告は、亡正利が従事した本件警備管理業務は、二四時間不断の緊張を強いられる警備業務である上、その間、仮眠程度の睡眠しかできないため睡眠不足になりがちであり、勤務日は二日に一日であって、しかも一か月に一、二回は三昼夜連続で勤務しなければならないという極めて過酷な業務であって、亡正利は、昭和五八年二月から右のように過酷な本件警備管理業務に従事したことによって過労ないしストレスが蓄積し、右過労ないしストレスが原因となって本件心筋梗塞を発症し死亡したものであるから、本件警備管理業務と亡正利の死亡との間には相当因果関係が存在し、業務起因性が認められる旨主張するので、右相当因果関係の有無について判断する。

右の事実によると、心筋梗塞とは、心臓の筋肉を養っている冠状動脈が閉塞又は高度に狭窄することによって、当該動脈の支配領域下の心筋の血流が途絶・阻血し、心筋の壊死がもたらされ、心臓の著しい機能不全(心不全)を来す場合をいい、右冠状動脈の閉塞又は狭窄の原因としては、冠状動脈の硬化、血液の凝固能の亢進による血栓の形成及びこれらを基礎とする冠状動脈の痙攣・攣縮(スパスムス)が挙げられるところ、右発症を促進する冠危険因子(コロナリーリスクファクター)としては、年齢、高コレステロール等の血清脂質異常、高血圧、喫煙、糖尿病等があり、過労(疲労の蓄積により心身の機能水準が著しく低下した状態)及びストレス(外的条件の著しい変化によって心身機能の平衡の乱れを来した状態)については、医師田尻が、冠状動脈の収縮・攣縮、心臓の血液拍出量の増大、昇圧ホルモン(アドレナリン・ノルアドレナリン・レニン等)の過剰分泌をもたらし、これらの結果として、心臓の仕事量の増大、血圧の上昇、心臓への負担の増加を来して高血圧を招来する一方、血液の凝固能を亢進し、冠状動脈の血栓を生じさせるものであるから、心筋梗塞の冠危険因子となるとする(〈証拠・人証略〉)のに対し、医師児玉(〈証拠略〉)、同野々村(〈証拠略〉)は、これを全面的に否定しないものの、ストレスそのものがあいまいであって未だ未解明な部分が多く、ストレスと心筋梗塞との間の因果関係についても必ずしも医学上立証されたものとはいえないとして否定的見解を述べている。

3  そこで、ここでは、過労及びストレスが心筋梗塞を発症せしめる冠危険因子となり得るとの見解に従い、本件警備管理業務と本件心筋梗塞発症との間の相当因果関係の存否について考察をすすめる。

右の事実によると、本件警備管理業務は、勤務時間が午前八時三〇分から翌日の午前八時三〇分までの二四時間と長く、その頻度は二日に一日であり、一か月に二回は三昼夜連続勤務に従事しなければならず、夜間において仮眠ができるものの十分な熟睡時間をとることができないものであることは認められるが、他方、本件警備管理業務の勤務時間のかなりの部分は拘束程度の弱い自由な時間であって、常に強度の緊張を強いられるものではなく、とりわけ、昼間には、午後一時から四時まで計三時間の自由時間が与えられていること、したがって、三昼夜連続業務の際には、昼間に仮眠をとることによりある程度睡眠不足を補うことができること、三昼夜連続勤務の場合、初日に肉体労働は済ませてしまい、二、三日目は適宜に過ごすこともできること(〈証拠略〉)、亡正利は、二四時間勤務を終えた翌日の二四時間は非勤務日であるため、十分睡眠を取るなど疲労を回復することが可能であるほか、年間有給休暇を二四日付与され、これが月二回の三日連続の休暇として現実に取得できたこと、亡正利は、夜間における仮眠に際し、当初は近隣の騒音によって睡眠を妨げられることはあったが、それも一、二週間で慣れ不満を訴えることがなかったし、また、午後一〇時の閉門後の車の入庫自体、その台数は少ないし、そのために開門しなければならないことは月一、二回であったこと、本件警備管理業務中、肉体労働は、一日三回一回約二〇ないし三〇分程度の本件モータープールの見回り、保安室内の清掃、約二〇分間の本件モータープールの清掃程度しか存せず、肉体的負担は軽微なものであったこと、亡正利が勤務していた間に、本件モータープールにおいて、事故、盗難などの突発的事態は生じたことがなかったこと、淀川製鋼大阪工場において、本件警備管理業務は、肉体的及び精神的に最も負荷の軽い職場と考えられており、五五歳以上の高齢者又は健康上やや弱いもののなかから要員を配置していること、亡正利は、定年に達する前に自ら望んで本件警備管理業務に従事し、死亡までに約一年八か月右業務に従事し、その業務内容に精通し、労働環境にも慣れていたことが認められ、以上の事実を総合すると、本件警備管理業務自体、心筋梗塞を発症せしめる程の肉体的疲労や精神的緊張(ストレス)をもたらす過酷な業務であると認めることはできない。

そして、右認定の事実によると、亡正利が、昭和五九年四月(本件心筋梗塞発症の約五か月前)以降及び本件心筋梗塞発症前一週間に従事した本件警備管理業務の内容に限ってみても、右認定にかかる通常時の本件警備管理業務の内容に比し、肉体的疲労及び精神的緊張を含め右内容に特に加重されたところはなく、右内容と同様であったと認められる。また、本件心筋梗塞発症直前の三昼夜連続勤務にしても通常時の勤務内容に特に加重されたところはないというべきである。

これに対し、医師田尻は、本件警備管理業務は過労ないしストレスが蓄積する過酷な業務である旨述べる(〈証拠・人証略〉)が、右の見解は、右認定事実とは前提を異にする事実に基づくか、ことさらに本件警備管理業務の内容等が過酷なものであるとの見地に立つものであって到底採用しうるものではない。

なお、原告は、亡正利は、相番の稲上が勤務中の事故のため欠勤した際、昭和五九年二月一五日から同年四月一五日までの間連続して夜勤を続け、これが原因で過労が蓄積し、同年四月三〇日から同年五月七日まで過労により入院した旨主張するが、右の事実及び証拠(〈証拠略〉)によれば、亡正利が稲上の代わりに連続して夜勤(午後八時三〇分から翌日の午前八時三〇分まで)に就いたのは同年三月の一か月に過ぎず、右入院との間に約一か月の期間があること、同年四月三〇日から同年五月七日までの亡正利の入院の際の病名は気管支喘息であって、過労であるとの診断はないことからすると、亡正利の右入院の原因が右連続夜勤による過労であると認めることはできず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。

次に、亡正利について心筋梗塞を発症せしめる冠危険因子の存在を検討するに、右事実によれば、同人は、本件心筋梗塞発症当時五九歳であってかなりの高齢であったこと、境界域高血圧であり、煙草を一日に約二〇本吸っていたこと、亡正利は、一日に三ないし五合程度を飲酒し、名取病院のカルテ上では「アルコール中毒」と記載されていることからすると、適量を超えて飲酒する傾向にあったことが認められ、右の事実からすると、亡正利は、本件心筋梗塞発症当時、高年齢、高血圧、喫煙、過度の飲酒を原因とし、自然的経過を経て心筋梗塞が発症したとしても不合理なところはなかったものと認められる。

4  したがって、以上の事実と本件警備管理業務と本件心筋梗塞発症との間の因果関係を否定する前記各医師の意見を総合すると、亡正利の従事した本件警備管理業務は、本件心筋梗塞を発生させるに足りる過労ないしストレスを生じさせる業務と認めることはできないし、また、亡正利には、高年齢、高血圧、喫煙、過度の飲酒等、多くの重大な冠危険因子が存在するから、本件警備管理業務と本件心筋梗塞との間には相当因果関係があるとはいえず、もって業務と死亡との間にもまた相当因果関係は認められない。

五(ママ) 以上の次第で、亡正利の死亡は、本件警備管理業務に起因するものとはいえないから、被告の本件処分に違法はなく、原告の本訴請求は理由がない。

(裁判長裁判官 松山恒昭 裁判官 黒津英明 裁判官 太田敬司)

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